新潟県立植物園さんの園芸日記
写真

他のプロフィール画像を見る

新潟県立植物園さん  新潟県
お気に入りメンバーに登録
2011年11月
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
68

琵琶湖周航の歌の謎

2011/11/22
琵琶湖周航の歌の謎 拡大 写真1 琵琶湖周航の歌の謎 拡大 写真2 琵琶湖周航の歌の謎 拡大 写真3

「時間が経つとふえないダウンロード、電子書籍はいとはかなき」。芸術の秋を実感している植物園日記担当の倉重です。そんなことよりも、「もう日記やめたんですか?」と言われるのが、いとかなしき。2か月近くもお休みしてしまいました。

 歌にありますように今年3月までの植物園日記をまとめて電子書籍にしましたので、再度宣伝させていただきます。皆様のダウンロードをお待ちしております。「新潟県立植物園 みんなの趣味の園芸 植物園日記」ダウンロード http://p.booklog.jp/book/32962
 
 さて、企画展「宮沢賢治と吉田千秋 二人の植物学」のことを書こうと思っていたのですが、11月13日に展示が終わってしまいました。今日はお越しいただけなかった方に、吉田千秋についてご紹介します。
 
クローバー今日の話題68 吉田千秋とは誰か
 「琵琶湖周航の歌」は、大正6年頃につくられた旧制三高のボート部の歌ですが、「嗚呼玉杯に花うけて」など、旧制高校の寮歌は、かつては一般の方にも愛唱されていたようですね。その中でも「琵琶湖周航の歌」は、昭和46年に加藤登紀子さんが歌って大ヒットしました。若い人に聞いたら、知らなかったけれど、ある程度以上の年齢の人はみなさんご存知でしょう。
 
 これを契機に、長らく三高出身の小口太郎の作詞作曲とされてきた「琵琶湖周航の歌」の作曲者は、別人ではないかということが、三高卒業生の話題となったそうです。

 そして、卒業生の堀氏が調査を進めた結果、昭和51年に吉田ちあき作曲の「ひつじぐさ」の掲載された大正4年の「音楽界」(写真左)を入手、原曲が「ひつじぐさ」であることが判明しました。昭和54年には、「睡蓮 吉田ちあき作歌」とある三高卒業生の手書きの譜面が見つかり、「琵琶湖周航の歌」の原曲が「ひつじぐさ」であることが確認されました。それと共に、作曲者の本名は吉田千秋であり、大正4年に東京から新潟に移ったことも分かりました。
 
 しかし、吉田千秋が誰なのかは長い間不明でした。
 平成5年に新潟日報(新聞)に「琵琶湖周航の歌 作曲者の消息教えて 東京から本県に転居」という記事が掲載されました。この年は琵琶湖周航の歌が披露された滋賀県高島市今津町で生誕75周年記念事業が企画され、その一環として作曲者捜しが行われていたのです。
 
 新潟ではちょうどその頃、早稲田大学教授で「日本地名大辞典」を著した吉田東伍博士の企画展示が、故郷である新潟県阿賀野市で準備されていました。新聞記事が出た時に、家系図の作成も行われており、24歳で夭折した吉田博士の次男が「千秋」ということに気づいた関係者がいました。最初は「そういえば、若くして亡くなった同名の人がいたけど、偶然ってあるんだね」などと話していたそうですが、睡蓮をひつじぐさと呼んでいたことや、作曲をしていたことから本人である可能性が高いことが分かりました。その後、新潟市秋葉区の自宅で遺品を整理したところ、数々の資料が発見され、当時存命だった三男の吉田冬蔵さんによって「琵琶湖周航の歌」の原曲「ひつじぐさ」の作曲者が吉田家の千秋であることが確認されました。
 こんな偶然が重なって幻であった「琵琶湖周航の歌」の作曲者が判明したのです。
 
 吉田千秋は、音楽だけではなく、植物や園芸、言語、ローマ字、動物学、幅広い興味を持っていた人物であったことが分かってきました。

 なぜ、昔の話なのに、いろいろなことが分かったかというと、吉田家に千秋が書き残した回覧誌やその他資料が大量に残っていたためです。写真中央は吉田千秋がつくっていた家族の向けの回覧誌SHONEN 190号(1910年6月10日刊 千秋15歳)の表紙のゼラニューム、右が200号(同年11月17日刊)のサボテンの記事です。植物に興味があったことをうかがわせますね。
 植物に関する資料を調べたところ、チューリップ球根の商業栽培(新潟県が日本初)について面白いことが分かりましたので、続きをお楽しみに。

「琵琶湖周航の歌の謎」関連カテゴリ

みんなのコメント(8)

ドイツに留学されたのかと思いました(笑)

宮沢賢治と吉田千秋…友人達と、
ありったけの知識を絞り出しながら展示を見ました。
でも、かなり難しかったのは確かです冷や汗
友人達と最近の展示は無い頭を使わなければ無理!
今までとチョット方向性が違わない?という意見が出たり。
オバサングループは楽しさ優先な訪園でして…スミマセン。

でもミニ同級会で訪園したことがキッカケで、
後日、孫を連れて訪園したという人が増えました。
地元の植物園を知らずして何を語る!
と新潟県立植物園ファンが増えて喜ばしいです。

クリスマス展示の下見をしました~次の幹事に報告済みです。
近いうちに集合がかかるでしょうわーい(嬉しい顔)

返信する

こんばんは。

「琵琶湖周航の歌」、なつかしいです。
ひさしぶりに耳にしました。

作曲者にまつわるエピソードが新鮮でした。

次回はチューリップ球根の商業栽培とのこと。
これも興味津々。

また、見にきます。

返信する

お久しぶりです。
私も、もう日記は書かれないのかと思ってました冷や汗

子供のころからの友人で、
ピアノの先生をしていた吉田千秋(女性)がいることと、
私の名の読み方が同じことから、
興味をもって読ませていただきましたわーい(嬉しい顔)
多才な方だったのですね。

植物園なのに変わった方(宮沢賢治)を取り上げた
展示をされているのを不思議に思ってました。
でも「チューリップ球根の商業栽培」に関わっていたのですね?

次の日記も楽しみにしています冷や汗

返信する

hanura様
 
 コメントをありがとうございました。皆さんにもう忘れられたかと思っていました。

 いや~、9月下旬から出かけたり、話にしに行ったり、なんやかんやと公私ともに忙しくて、なかなか更新できませんでした。怠け癖もついたのかもしれません。留学はしませんが、ドイツの植物の日記も準備中ですので、お楽しみに。

 展示をご覧いただきありがとうございました。秋は文化的なテーマを取り上げるのですが、今年は明治に生まれて、植物や園芸に興味を持った宮沢賢治と地元の吉田千秋をテーマにしました。解説が分かりにくかったのかもしれません。今回の日記ですっきりとすると良いのですが。

 クリスマス展にもお越しいただけるとのこと、毎度ありがとうございます。

返信する

C.パープラタ大好き様

 コメントをありがとうございます。

 本当に若い方は「琵琶湖周航の歌」をご存じないので、驚きました。多分、聴くと分かるのではないかと思いますが。

 次回は吉田千秋の資料から分かったチューリップの球根栽培について書こうと思っています。

 ご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。

返信する

chackee様

 こちらこそ、大変ご無沙汰しておりました。植物園日記担当の倉重です。

 日記は書く気はあったのですが、なかなか更新できずにおりました。やめておりませんので、ハイ。

 宮沢賢治と吉田千秋は一歳違いで、賢治は農学、千秋は園芸と二人とも植物に興味を持っていたので、明治から大正の時代背景(園芸の歴史からみた)と二人が興味を持った植物などを比較した展示を企画しました。
 当時は珍しい植物を購入するのは通信販売を利用したのですが、その時代の賢治、千秋が購入した種苗会社のカタログも展示しました。資料を調べてみたら、賢治は京都のタキイ種苗、横浜の横浜ガーデン、不休園(東京)などから植物やタネを買っていたことも分かりました。

 次回は吉田千秋の資料から判明したチューリップの商業栽培についてです。

返信する

こんばんは。

企画展「宮沢賢治と吉田千秋 二人の植物学」の展示植物園のHPを見た時に興味がありましたが、遠い為見に行けず、興味深く読ませて頂きました。宮沢賢治も詩人、童話作家としか今まで知らなかったので、植物や園芸に興味をもっておられ多才な方だったのですね。

また、ドイツの日記での報告楽しみにしていますウィンク

返信する

miyishi様

 コメントをありがとうございます。

 宮沢賢治もMemo Floraという手帳を見てみますと、相当植物に詳しかったことが分かります。作品も植物が実に効果的に使われていて、その情景が目に浮かぶようです。

 もう一回、吉田千秋の日記を書いてから、ドイツ編に取りかかろうと思っています。

返信する
みんなの趣味の園芸にログイン/登録する

※コメントの書き込みには会員登録が必要です。

会員登録がお済みの方は

会員登録をすると、園芸日記、そだレポ、アルバム、コミュニティ、マイページなどのサービスを無料でご利用いただくことができます。

ピックアップ
定期購読
投稿募集中 from テキスト編集部
見て見て!お気に入りの花

見て見て!お気に入りの花
自慢の植物・庭の写真を募集中!

みんなのマルシェ

みんなのマルシェ
自慢の畑・野菜の写真を募集中!