先日久々に更新した植物園日記に皆さんから早速コメントを頂戴しました。ありがとうございます!2ケ月半も書いていなかったので、やっぱり、もうやめたと思われていたようですね。やっているような、いないような、でもやめない。植物園日記担当の倉重と植物の関係はこんな感じですので、末永くお付き合いください。そう言えば、熱帯産の首の長いカメなど数匹を20年以上飼っていますが、それもたいして面倒も見ないし、かわいがりもせず、でもいないとさびしいような、つかず離れずな感じです。
今日は先回の吉田千秋のお話の続きです。タイトルとは違って、「琵琶湖周航の歌」についてではなく、その原曲「ひつじぐさ」の作曲者である吉田千秋の資料から判明したチューリップ栽培の歴史についてまとめました。
今日の話題69 吉田千秋とチューリップ 日本初の球根の商業生産はいつ?
平成5年に吉田千秋が世に知られるようになってから、吉田千秋の遺品の中に植物に関する資料が多数あることが分かってきました。そこで、平成15年から吉田文庫(吉田家の資料を保存している千秋の生家)の協力のもと、平成15年から調査を行いました。
吉田千秋は明治28年生まれ、大正8年24歳で亡くなっています。
千秋は幼少時から生家の新潟と両親の住まう東京を行き来していましたが、結核の病状が思わしくなくなった大正4年6月、療養のために新潟市秋葉区に帰ります。翌年10月には、先回ご紹介した「SHONEN」にかわり、友人や兄弟と一緒に回覧誌「AKEBONO」をつくりはじめます。植物に関する記事も多いのですが、詳細は拙著「吉田千秋研究Ⅰ 吉田千秋と植物」をお読みいただくことにして、今回はチューリップについてのみ書くことにします。
調査を進めると、チューリップに関して重要な資料が3つあることが分かりました。
1つは、千秋がつくったチューリップの目録「CATALOGUS TULIPARUM 1917」(チューリップ目録 1917、写真左)と「CATALOGUS TULIPARUM FORMOSANUM 1917」1(美しいチューリップの目録 1917)。72品種の品種名や花の特徴がまとめられ、それぞれに千秋自身がつけた名前も記されています。
2つ目は、「AKEBONO」のチューリップの写生画(写真中央がsそのうちの一つ)。絵には番号が振られています。写真右は「AKEBONO」裏表紙のチューリップ。
最後が園芸日誌。「AKEBONO」16号(大正6年5月刊)には、大正5年の園芸作業日誌「花つくりの手控より(1916年)」、以下37号(大正7年4月刊)には大正6年分の「花つくり日誌(1917年度)」、また大正7年分の園芸日誌の草稿がありました。
さて、これらを調べると、チューリップの目録に振られた番号が、「AKEBONO」の絵の番号と一致することが分かりました。また、園芸日誌を確認すると、72品種すべてが、いつ、どこで購入したかが記録されていました。その結果、1〜70番までは新潟市秋葉区の生産者に直接出向いて購入していること、その時期は大正5年5月26日から大正7年5月28日までであることが分かりました。
資料をまとめている時点で、これは!と思いました。それは、日本ではじめてのチューリップ球根の商業生産は、新潟県秋葉区で大正8年にはじまったとされていたからです。偶然にも、千秋はそれよりも前に球根の栽培がはじまっていたことを記録していたのです!
園芸日誌にはこの他にも、大正6年5月1日「午後S君と出戸(でと:秋葉区の地名で、江戸時代から花が生産されている地域)へ行く。至る所の花戸(かこ:花生産者)、ハイアシンス(ヒアシンスの英語読み。昔はこう呼ばれた)、早咲のテウリプ、アネモネなど盛りなり」と、一軒だけではなく、地域である程度の規模でチューリップが栽培されていたことも記されていました。これで、定説よりもチューリップ栽培は古くから行われていたことが分かりましたので、平成15年12月に地元の新聞、新潟日報に「定説よりも早かったチューリップの商業生産」(確かこんなタイトルでした)という記事を掲載してもらいました。
調査後に、たびたび名が出てくる秋葉区の生産者のところにも出向いてみました。現在は廃業されていましたが、なんと!吉田千秋が通った大正7年の売買帳が残っていました。早速拝見すると、大正7年4月21日「チュリップ十一株 大鹿(千秋の生家のある秋葉区の町名) 吉田ト沢田」など、千秋の園芸日誌と帳面の記録がぴったりと一致しました。また、このお宅には大正7年5月に撮影されたチューリップ畑(生産用)の写真も残されていましたし、さらに他のお宅で見つけた「球根類扣帳(ひかえちょう) 大正八年二月吉日」には、178もの品種が記録されていました。
以上、吉田千秋の遺品の調査から、定説の大正8年よりも前に、日本初のチューリップの球根生産がはじまっていたことが判明したというお話でした。何でも記録は取っておくものですね。でもこの調査は楽しかったな〜。
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おはようございます。
返信する昨夜読み進むうちに、頭の回転が油ぎれ~途中で断念
再度挑戦です。
幼い頃は「寺尾遊園地のチューリップ」
小学校時代は「小合」最近は五泉のチューリップを毎年見に行きます。
従兄が関わっていることもありますが。
道の駅「花夢里」に「チューリップの碑」が建っています。
「日本チューリップ発祥の地」
なんでも新潟県が1番とばかり思っていたのですが、
球根栽培は富山県、切り花が新潟県なんですね。
花卉センターに行く途中…黒塀が修復された様子の旧家?が、
吉田千秋の生家というのも最近知りました。
公開はされていないようですね。
hanura様
返信する早速のコメントをありがとうございます。hanuraさんは本当にアクティブに活動されていますね。
花夢里にも碑が建っていますが、本物?は小合の小田小梅園の敷地内にあります。ここがチューリップ球根の大規模な商業栽培にはじめて成功した(大正8年)小田喜平太さんの生家なんですね。
大鹿の吉田文庫は公開されていませんが、「ちあきの会」のイベント時には一般の方も参加することができます。
こんにちは。
返信する興味深く読ませていただきました。
吉田千秋という方は、感受性の高い人だったようですね。行動力もあるし。
24歳でなくなったとは・・。
音楽から、植物の歴史が紐解かれるのは、不思議な感じでした。
こんにちは。
返信するチューリップ球根の商業栽培について興味深く読ませていただきました。
吉田千秋は24歳という短い生涯で、物物学や園芸学、音楽などいろいろ関心を持って精一杯生きられたのですね。
チューリップといえば、以前行った『となみのチューリップフェア』の、色とりどりのチューリップの数と品種の多さに感動しました。
球根の漬物を頂いて食べた事がありますが、なかなか乙な味がして美味しかったです。
吉田千秋は倉重さんが新潟にくるのをずっと待っていたと思います。すごい出会いでしたね。
返信する稀な才能を持ちながら24歳で亡くなり、何にもなり得なかったけど、遺されたたくさんの美しい手描き資料を拝見していると、何か心にすごく響くものがあるんですよね。絵が素晴らしいというだけではなくて。何でしょうか。人それぞれでしょうけど・・・。
C.パープラータ大好き様
返信するいつもコメントをありがとうございます。
私も吉田千秋から植物の栽培史が分かるとは思ってもいませんでした。吉田文庫から、資料を見てほしいと言われた時には、そんなに期待していなかったのですが、なんでも、実際やってみないと分かりませんね。
若くして亡くなったのは、とても残念です。
miyoshi様
返信するコメントをありがとうございます。
吉田千秋はとても多才な人だったようです。私は植物の方面しか調べていませんが、吉田千秋研究は植物以外にも、デザイン(SHONENの)、音楽の本を出版しています。
新潟にもチューリップ球根の漬け物がありますよ。残念ながら、あまりおいしくありませんでした。新潟でのチューリップ球根の輸出が成功して間もなく戦争がはじまって、その時にはしかたなく球根を食べたという話を聞きました。
3月からはじまる当園のチューリップ展にもぜひどうぞ。
グレープ様
返信するいつもコメントをありがとうございます。展示もご覧くださったのですね。
吉田千秋が琵琶湖周航の歌の作曲をしたのが分かったのも、奇跡的ですが、チューリップの生産のことが分かったのも、考えてみればありえないくらいの確率ですね!
千秋は収集、整理が好きだったようで、資料も調べやすかったですね。資料を読んでいると、私も感じるものがありましたし、すごく身近な存在に思えました。
こんばんは お久しぶりです。
返信する琵琶湖周航の歌は新潟に縁がある。の、漠然とした知識のみ。油切れの頭には、長い文章を1回で読み切る事がが出来ません。1・2を今日また読み直し、ようやく、ご挨拶が出来ました。
これからも楽しみにしています。
こころ様
返信するご無沙汰しておりました。コメントをありがとうございます。こころさんは順調に日記を更新されていますね。先ほど拝見しました。
久々の日記は、長くて、分かりにくかったでしょうか。でも、琵琶湖周航の歌が新潟と縁があることをご存知とは、さすがです(新潟でも知らない方がほとんどです)。
今後ともよろしくおつきあいください。
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