スレイマン1世(1494-1566)
16世紀になると一般家庭にチューリップが植えられるようになり、改良品種や新品種が作られました。
最も人気があったのは、花びらが剣のように長く尖ったタイプのチューリップ( Tulipa acuminata )です。
イスタンブールの宮殿にあるこの花の美しさがヨーロッパ人の注目を集めました。
多くのヨーロッパ諸国からの大使や商人がオスマン帝国の首都に滞在し、薬用植物園しか知らなかったヨーロッパの人々に大きな影響を与えました。
ローマ皇帝フェルディナント1世の大使であるオジェ・ギスラン・ド・ブスベックの名前は、西暦1554年にチューリップの球根と種をウィーンに初めて持ち込んだ人物としてスレイマン1世の宮廷に記録されました。
ブスベックはそれらを tulip と呼び、チューリップの花で飾るのが一般的だった tulipant ターバン を Lale チューリップ と間違えました。
滅亡時にオスマン人を探したが名乗り出る者は一人も居なかったほど、多国籍民族から成り立つ帝国でした。滅亡後には30もの国が生まれました。